「自由を失って初めて、その価値を知る。」
― ウクライナのことわざ
今日は、日本で暮らす外国人のための就労・生活支援イベントに参加しました。
気軽な気持ちで会場を訪れたのですが、そこでの出会いと対話は、思っていた以上に私の心を深く揺さぶりました。
アフガニスタン、シリア、ウクライナ——
それぞれの国から来た人たちが、自分の言葉で、自分の経験を語ってくれました。
彼らの日本語は完璧ではないかもしれません。
でも、その一言一言には、生き延びるための強さと、他者とつながりたいという誠実な思いが込められていました。
なかでも印象に残っているのが、ウクライナ出身のAさんとの会話です。
静かで穏やかな口調の彼女が、ふとしたタイミングでこう言いました。
「父は、今も前線にいます。」
その瞬間、胸の奥に何かが刺さったような感覚がありました。
小さな声でしたが、とても重く、静かに心に響く言葉でした。
私は今、平和な東京で、次の仕事や自分らしい生き方について考えている。
でも、彼女のお父さんは遠く離れた戦地にいて、
今日という日を生き延びられるかどうかすらわからない状況にいる 。
その現実が、言葉ではなく感覚として、突然自分の中に流れ込んできたのです。
「人生の選択肢があること」「やりたいことを考えられること」
それは、当たり前ではない。
むしろ、それは多くの人にとっては手に入らない、尊くて贅沢なものなのだと。
Aさんは、そんな状況のなかでも日本語を学び、仕事を探し、笑顔を忘れずに日常を積み重ねている。
その姿に、私は深い敬意と静かな衝撃を覚えました。
今日の出会いを通して、私はあらためて思います。
「自由」とは、意見を言えることや選択できることだけではなく、
“平和の中で、自分の未来を考えることができる”という状態そのものなのだと。
私は平和の中に立っている。
でもその中で、確かに戦争の影を見ました。
そしてその影は、遠い国の出来事ではなく、私のすぐ隣にある現実なのだと感じました。
あなたは、いまの自由をどう使っていますか?
何を語り、誰とつながり、どんな明日を選ぼうとしていますか?
当たり前に思える今日が、どれだけ特別であるか。
そのことを、もう一度静かに見つめてみたくなりました。
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